北浦北部巴川流域

北浦は「西浦」とともに霞ヶ浦を形成し、面積34㎢、湖岸75kmの湖です。流入する河川は、北部の巴川をはじめとして、22の小河川が数えられ、下流部は鰐川・常陸川を経て利根川に合流します。巴川はもともと九十九曲川(くじゅうくまがりがわ)といい、旧岩間町・愛宕山を源とした全長22kmの河川です。鉾田川は別の名を七瀬川といい、旧旭村飯田の大沼川から市街地を流れ北浦入り口で巴川と合流する7.2kmの河川です。

茨城県の自然景観資源地としての実態調査によれば、北浦は、海跡湖、淡水湖のA型富栄湖です。

巴川・鉾田川流域の湿原は、気候温暖で地形の変化に富み、植物の種類が多いので、植物を求めて生息する昆虫たちが多くなり、やがて昆虫たちを餌として鳥類や他の動物も集まってくることで豊かな生態系が見られることになりました。昨今の流域開発や水質汚濁などにより貴重な生態系への影響が懸念されています。

鉾田市巴川流域
鹿島灘海浜公園ビーチ

鹿島灘海岸線

太平洋を望む白砂青松の県内有数の海岸線。国指定天然記念物の「ハマナス」の花なども見られる。

北浦湖畔のなりたち

北浦・霞ヶ浦の原型ができたのは今から40万年前の更新世のミンデル氷期(45万年〜38万年前)。その後、気温が上がり始めて海進も進み、今から6000年前になると現在の海水面より数メートルも高くなりました(縄文海進)。市街地の大部分で塩水が出ることや地下30㍍辺りに貝殻の層があるのもそのためだといわれています。常陸風土記にも「旧玉造町の辺りの霞ヶ浦で塩を焼くのに用いる海藻を産する」と書いてあり、奈良時代も海であったことは確かでしょう。その後、海進が進み、江戸時代になると江戸の大都市化を背景に北浦や霞ヶ浦は水路として盛んに利用されるようになりました。東北諸藩や水戸からの米などを江戸幕府に輸送するため、危険を伴う銚子沖を避け那珂湊から内陸水路を利用したルートが必要となりました。七瀬川(鉾田川)や巴川沿いには荷を中継するいくつもの河岸が設けられ、江戸からの商品や旅人の滞留などによる賑わいは、鉄道が敷かれる明治時代まで続きました。

(図説「ほこたの歴史」より抜粋)

霞ヶ浦(西浦と北浦)の漁業

霞ヶ浦(西浦と北浦)は、湖面積は220㎢で琵琶湖に次いで日本で2番目に大きな「湖沼」ですが、漁業法上は内水面ではなく、琵琶湖と同様に海区指定を受け、海と同じ漁業制度がとられています。霞ヶ浦(西浦と北浦)は全国でも有数の漁獲量を記録しています。平成24年における全国湖沼漁獲量14,978トンのうち霞ヶ浦(西浦と北浦)は646トン(平成23年は1,874トン)でした。生産量の多い他の湖沼では漁獲対象種が主にシジミであるのに対して、霞ヶ浦(西浦と北浦)は魚類及びエビ類が主体となっているのが特徴です。その豊かな資源を背景に、ワカサギ、シラウオ、ハゼ類、テナガエビなどを使った佃煮・煮干しやコイの養殖など地域性豊かな水産加工業も発展してきており、現在に至るまで地域の特産物として県内はもとより全国各地の消費者から広く親しまれています。

(茨城県ホームページ参考)

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北浦北部の自然力